【コラム:コピーライティング】「生活者」って何?コピーライティングの重要な視点とは?
広告代理店の社員は、広告の「こちら」と「あちら」を区別して考えている。
「こちら」とは、広告の送り手であるスポンサーや自分のようないわゆる業界人であり、
「あちら」とは、広告の受け手である生活者(消費者)である。
どんな広告にもターゲットがいるはずだから、向こう側を意識することは重要である。
相手を知ることなしに、広告は成り立たない。
しかし、コピーライターの肩書きで仕事をしていると、この「生活者」という言葉が気になる。
「生活者」とは、「消費者」とも呼ばれる、広告の向こう側にいる人々である。
コピーを書くためには、相手の目線に立って考えなければいけない。
つまり、「生活者」になりきって物事を考える必要がある。
この”「生活者」になりきる”という行為は、どういうことなのだろう?
どうやったら、「生活者」になれるのか?
そもそも、「生活者」ではない私は何者なのか・・?
よくよく考えると、「生活者」でない人間など存在しないのである。
「先の定義と違うじゃないか!」と怒られるかもしれない。
しかし、広告代理店の社員だって、薄皮を一枚剥がせば、
個人としての生活を営む立派な「生活者」であることは間違いない。
広告の送り手と「生活者」は、広告という名の川をはさんで向き合う関係ではなく、
広告という一枚の鏡に映った『実像』と『虚像』の関係なのである。
この単純かつ重大な事実を、広告の送り手たちは忘れているのではないだろうか。
例えば、今「口コミ」が注目を集めている。
「生活者」は「生活者」の情報を信頼するのは事実であり、これを一つの広告商品として
取り扱えるようになったのは、技術革新が広告業界にもたらした喜ばしい事態である。
しかし、「口コミ」を広げるために四苦八苦している企業も少なくないのが現実だ。
私はその理由の一端が、広告のこちら側の思い込み―「生活者」の特別視―にあると感じている。
これは、何も「口コミ」に限る話ではない。
マーケティングが進歩し、それに伴って制作者の意識も変化した。
知識が増えれば増えるほど、『こちら側は特別だ』という錯覚に陥っていく。
「生活者」という言葉は、それを決定的にする。
同じように生活をする者が、急に向こう側にいる、よく分からない者になる。
だから、「生活者」といわれると、広告の送り手は自分達がいるビルの外側を想像してしまう。
同じオフィスで机を並べる何百、何千の人間は「生活者」ではないと決まっているかのように。
ビルの外の人達に口コミをさせるなら、まずビルの内側から始めたらどうだろうか?
広告代理店の全社員に口コミが広がらないのに、日本列島で広がるはずもない。
「生活者」はビルの外と同じように、ビルの内側にもいるのである。
ユーザー・インサイトやユーザビリティという言葉が、今頃もてはやされているも、
同じ理由ではないだろうか。
「生活者」=ユーザーとの距離が離れるほど、「ユーザー~」と呼ばれる考え方を改めて
確認せねばならない。
広告の送り手、特にクリエイティブを担う人達は、もう一度「生活者」について考えてみて欲しい。
「生活者」は、分析やロジックの果てにいる何者かではなく、自分自身なのである。
孫子は「敵を知り、己を知らば、百戦危うからず」と言ったが、
己を知ること無しには、一戦すら危ういだろう。
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