Location : Webマーケティングガイド > Webマーケティングコラム > クリエイティブ > 【コラム:クリエイティブ】あなたは「AISAS」を信じますか?

【コラム:クリエイティブ】あなたは「AISAS」を信じますか?

このエントリをはてなブックマークに登録      この記事をクリップ!  コメントを見る  Yahoo!ブックマークに登録 

[07年05月15日]

Attention(注意)→ Interest(関心)→ Desire(欲求)→ Memory(記憶)→ Action(行動)

消費者行動論を学ぶ誰もが最初に教わる理論。それが、上のAIDMA理論だ。
消費者が購買にいたるまでを、認知・情動・行動の順に捉え、そのプロセスを明確に描き出したこの理論は、ローランド・ホールが提唱して以来、長きに渡って支持されてきた。

確かに、「知る→感じる→動く」という行動への収斂の過程は、人間の心理的反応を的確に捉えている。
購買に近づくにつれ、生活者が主体的に関与し始めるのは、自分の身に置きかえれば自然と理解できるだろう。

しかしインターネットが普及し、Webが “2代目”に代替わりする頃から、AIDMAに代わるAISASというフレームが提案されだした。

Attention(注意)→ Interest(関心)→Search(検索)→ Action(購入)→ Share(共有)

見て分かるように、欲求・行動に代わり、検索・共有が購買行動のステップとして特徴付けられている。
ここで委細を説明することはしないが、確かにインターネットに慣れ親しんだ世代の購買が、検索と共有を重要な要素として含んでいるのは事実だろう。

例えばこんなサービスが成り立つ時代である。
小売店より安い店がわかる?--バーコードを撮影して価格.comで値段チェック(引用記事:CNET Japan)

しかし、理論モデルを過信してはいけない。
ことインターネットや、それに関するマーケティングの領域は、常に発展途上である。

AISASも、新時代の消費者行動モデルの完成形ではなく、有力な一意見でしかない。

実際、私はこのAISASに上手く馴染むことができない。
AIDMAを知った時は『確かにそうだな』と納得できたのに、AISASについては『うん‥でも‥』と意気地なしのような態度になってしまうのだ。(実際、私はただの意気地なしなのだが。)

考えてみると、その座りの悪さをもたらす原因は、コピーライターという職業にあるのかもしれない。
コピーを書くとき、私はWhat to say と How to say を区別して考える。「何を言うべきか」を突き詰めて、初めて「どう言うべきか」を考えるのである。

そこで感じるのは、商品が明確なWhatを持ちにくい時代になったということだ。

水越康介・首都大学東京大学院准教授によると、現代マーケティングの基本である市場志向は、顕在的なニーズを満足させようとする「反応型」市場志向と、まだ存在していない潜在的なニーズを満足させようとする「先行型」の市場思考に分けられる。(出典:2006『ビジネス・インサイト』第14巻第2号、20‐32頁)

大量生産の時代、情報通信技術の革新を経て、モノと情報は氾濫を始めた。
そして、競争市場の中で、企業はあらゆる顕在化したニーズを吸い上げてしまった。

つまり、もう簡単にニーズが見つからなくなってしまったのである。
だから企業は、生き残るために潜在ニーズに対応する必要、つまり先行型市場志向に挑戦せざるを得なくなった。

しかし、見えないニーズを汲み取るのは容易なことではない。それは、新商品を連発しては淘汰するコンビ二業界の努力を見れば一目瞭然だ。

かくして、商品のもつWhatはどんどんと分かりにくく、微細になってしまった。

「今どきコピーライターなんているの?」と言われるのも、ここに原因があるような気がする。
コピーライターの技量がHowで競われていた時代から、Whatの発見力で競われる時代になったのだ。

この作業の難易度は上がったが、傍目には分かりづらくなってしまった。
(もちろんHowが不要になったという意味ではない。すごい人は、今も昔もWhat+Howどちらも鋭い。)


話を戻す。

AISASが持つ『違和感』の正体は、上述のような現実とのあいだに生じた“ねじれ”にある
のではないだろうか。
AIDMAのようにAISASが馴染まないのは、市場志向の実態の変化を反映していないからだ。

かつてはAttention(注意)→ Interest(関心)で良かった。
しかし、今は市場の「注意」を起点と考えるのは難しくなってしまった。

もう誰もが同じように「注意」することは少なくなり、個々人がそれぞれのベクトルで「注意」を発散しているのだ。

まるでネッシーのように「いる感」だけを漂わせながら、簡単には現れてくれない潜在ニーズは、「注意」の集合体というより、むしろ「関心」の集合体に近いのではないだろうか。

各人が持つ、いや、持ちつつある「プレ関心」の集合体こそ、潜在ニーズの正体なのである。
その姿をハッキリと捉えるためには、それが気まぐれに顔を出した時を逃してはいけない。

ネッシーが出てくるのを待つのではなく、出てきた時にもう水中に帰りたくないと思わせる仕掛けを作ればいいのである。


それが、これからの広告クリエイティブ、マーケティングの役割なのだ。
「(プレI →)I → A → S → A → S」という流れのほうが実感に則っているはずで、それを踏まえた仕掛けを作ることが大切なのだ。

例えば、話題になった「牛乳に相談だ」(http://www1.gyunyu.com/pc/index.jsp)の一連の広告キャンペーンは、やはりこの役割を果たしてみせたからこそ、業界内外から評価されたのだろう。

牛乳に対する「注意」を促して「関心」を持たせようという魂胆では、キャンペーン内容がこうはならない。
牛乳という商品のWhatを見つめられる人がいて、「プレ関心」の影を捉えた人がいたからこそ、それを確かな「関心」として独り立ちさせるあのキャンペーンが生まれたのだ。

立ち上がった「関心」が、駅でTVで新聞で「アレだ」という「注意」を生むし、「検索」という一つ目の行動を促したのである。

クリエイターは、理論も数字も関係ないと斜に構えている場合ではない。
市場を見つめるマーケティングの目があり、仕掛けを生み出すプランナーの発想があり、Howを削りだすコピーライター/デザイナーの表現力がないと、もはや時代は振り向いてくれないのだ。

つくづく、厳しい時代である。
ネッシーを見つけるほうが簡単かもしれない。

だがそれは、時代がクリエイティブの力を必要としていることの裏返しでもある。
その時代の期待に応えるクリエイティブは、きっと今までよりも面白くなるはずだ。


【その他注目記事】



関連用語



トラックバック

このエントリーのトラックバックURL: